原田元気はいつも元気です。
今日は中国とは、あんまり関係ない話。
…いや、ちょっと関係あるかも。
私の良く知っている仲間内では、
「なんで奴は急に中国なんぞに行くことになったのか」
と、評判になっていたり、なっていなかったりしますが、
なんで中国に来たかといえばただ一言、
「おもしろそうだから」
に尽きます。
30を目前にした男が言うこととは思えませんが、
これが、恋人も妻も持たない独身者の強みと言えましょう。
(そういえば同行のF氏には奥様がいらっしゃいましたね…)
むろん、私には野望がありました。
それは、
「死ぬまでに3回世界を一周すること。」
「海外に住んでみること。」
です。
私の昔話になりますが、
高校時代、私は大分市の片隅にある大分東高校の国際コミュニケーション科
に在籍しておりました。
もちろん、クラスには日本の枠に収まらずに海外へ飛び出そうとする野心をもったうら若き少年少女が(主に女子でしたが)ひしめき合っていたわけです。
その生活の中で一番先に思い出されるのが当時、科の主任をされていた大塚先生のこと。
ある時、私は聞きました。
「先生、最低何ヶ国語くらい話せれば世界一周しても困りませんかね?」
先生は
「何にも要らない、ボディランゲージで何でも通じる」
と答えました。
伝える意思が一番大事、ということですね。
先生、私はまだまだ国際コミュニケーション力は足りないようです。
食事中、まだまだ全然分からない中国語を聞きつつ、なんでかそんな昔話を思い出した原田元気なのでした。